ひきこもりろん

広告ライターからエンジニアに転職し、現在はYouTuberデビューを目論んでいる「ひきこもり志願者」が日々の妄想を書き散らかすブログ。

【10日目】堕落と技術革新の日

私は子どもの頃、漫画家になりたいと思っていた。「絵を書くことが好きだから」という真っ当な理由もあったが、「漫画家になれば仕事をしなくても良いから」という世間を舐め腐った考えも根底にあったのだと思う。

ワンピースの作者である尾田栄一郎先生も同じような思想を持っていたらしいが、コミックスの刊行ペースから察するに相当な激務であることは間違いない。それでも毎週楽しみにしている読者のために、尾田先生は漫画を描き続ける。その姿は、素直に格好良いと思う。好きなことに対して全力を注げられるのは、それ自体が才能なのだ。

 

残念ながら私は器用貧乏な性格なので、色々なものに目移りしてしまう。2017年現在、漫画家になるという夢は実現していないが、絵画の話題には今でもそこそこの関心を持っている。

 

少し前の話になるが、ニューヨークのアーティスト・Iris Scott氏の技法が世間の注目を集めた。それは「フィンガーペイント」と呼ばれるもので、筆ではなく自身の指を使って絵画を描くテクニックである。

 

この「フィンガーペイント」が誕生した理由だが、簡潔に述べるといちいち筆を洗うのが面倒だったらしい。確かに、筆は「絵を描く」という目的を達成するためのツールで、言い換えるならば手段である。手段のために目的達成への歩みを止めることは、明らかに本末転倒と言えるだろう。

 

人間の歴史を振り返ってみると、こうした「面倒くさい」という想いから誕生した技術やサービスは驚くほど多い。むしろ大半がそうなのではないだろうか。個人にしろ組織にしろ、何かしら面倒くさいことがあるとそれを課題として認識し、解決手法を模索する。そして幾度となく試行錯誤が繰り返された結果、今日の技術革新に繋がっているのである。

  

最近は機械学習や自動運転技術が脚光を浴びているが、あれこそ正に「面倒くさい」から生まれた技術の最たるものだろう。思考も行動も機械に委ねるという、堕落の究極形である。

 

AIに仕事を奪われると危機意識を抱かれている方も多いが、そこまで悲観的になる必要が果たしてあるだろうか。私はすべての仕事を機械に委ねて、自分のやりたいことに時間を注ぎたい。人生は有限なのだ。

 

目下のところ、私は日曜日の「洗濯」にまつわる一連の作業が面倒くさくて仕方がない。洗濯機に衣類を詰め込み、その量に応じた洗剤(私はボールドを愛用している)を流し込み、一定時間後に再び衣類を取り出して、ベランダに干して乾燥させる。さらに一定時間が経過した後、今度は衣類を室内に取り込み、丁寧に畳んだうえで所定のクローゼットに収納しなければならない。なんと面倒なことか。

 

たかだか洗濯と言えど、その工程を文章化するとこれほどに煩雑な作業である。私は先ほどこれらの工程を終えたばかりだが、また数日後に同じ作業を繰り返すのかと考えたら気が遠くなった。世の技術者たちに告げる。全自動お洗濯ロボットを作るのだ。間違いなく売れる。少なくとも私は買う。

 

※追記1

洗剤についてあまり詳しい方ではないが、以前はアタックを使用していた。しかしボールドの香りに出会って以来、取り憑かれたようにボールドばかり買っている。

 

※追記2

私の愛読書は坂口安吾の「堕落論」である。人間は堕ちきるところまで堕ちきらないと、真の救いを見いだせない生き物らしい。なので私はお言葉に甘えてとことん堕落する。