ひきこもりろん

広告ライターからエンジニアに転職し、現在はYouTuberデビューを目論んでいる「ひきこもり志願者」が日々の妄想を書き散らかすブログ。

【56日目】平成の終わりと恩赦の日

少し前の話題になるが、「政府は天皇陛下の退位日を2019年3月31日とすることで最終調整に入った」と朝日新聞が報じた。

もしもこの報道が事実だとすれば、再来年の3月で平成は終わりを迎えることとなる。ネット上は阿鼻叫喚の嵐である。

それもそのはず。これまで「平成生まれ」と持て囃された若者たちは現在の「昭和生まれ」の立ち位置に変わり、「昭和生まれ」の中堅世代は「大正生まれ」と同様の認識を持たれるのだ。年齢は変わらないはずなのに、何故か歳をとった気分になる。

元号が変わるとなれば多くのシステムで改修が必要になるため、SEの方々も今から陰鬱な気分に陥っているに違いない。新しい元号が早く発表されることを願う。

そして個人的にもう1点気にかかっているのが、この記事のタイトルにも含まれている「恩赦」である。ちょうど先日、高野和明さんの『13階段』を読んだこともあって、犯罪者の刑罰が軽減されるかどうかに注目している。

明治天皇大正天皇崩御に加え、1952年のサンフランシスコ講和条約締結、1953年の日本国憲法公布など、大きな出来事が起きる度に恩赦が行われてきたが、この事実は前向きに受け止めて良いことなのだろうか。

被害者やその親族からすれば溜まったものではないだろう。罪の重さは変わらないのに刑罰だけが軽くなり、それに味をしめて再犯に手を染める者まで居る。恩赦が行われる基準自体も非常に曖昧なものなので、どうにも納得感に欠けてしまう。

そういう意味では、1989年の昭和天皇逝去の際は大きな転換期だったと言える。夕張保険金殺人事件をご存知の方も多いだろう。

1984年、北海道夕張市鹿島で発生した保険金詐取を目的とした放火殺人事件である。首謀者の暴力団組長夫婦が死刑判決を受けたが、自ら控訴を取り下げて刑を確定させたのである。

何故このような行動を取ったのか。その答えは「恩赦による減刑」を期待したからである。もしも裁判が長引いて、天皇崩御の後に死刑判決が確定したとしよう。当然、恩赦は適応されないし、死を免れることも不可能になる。

そう考えた夫婦は、下手に裁判を長引かせるのではなく、早い段階で確定囚となって恩赦を受けることにしたのだ。浅まし過ぎる考えに反吐が出るが、この話は思わぬ結末を迎える。二人の期待に反し、重犯罪を犯したものには恩赦が行われなかったのである。

結果的に彼らは自らの死期を早めてしまい、この事件は戦後初めて夫婦に対して死刑が執行されたとして、今なお語り継がれているそうな。

私はそれほど正義感に強いわけでは無いのだが、社会の秩序を大きく乱す存在は抹消されて然るべきだと思う。

次の時代は一層平和な社会になることを祈るばかりである。その時までこのブログも続いていると良いのだが。

 

※追記1

ちなみに「平成」という元号安岡正篤さんという陽明学者が考案したらしい。「内外、天地とも平和が達成される」という意味だそうな。80へぇ。

 

※追記2

高野和明さんの本は面白いです。お薦めです。そして明日はついにジュンク堂の本型クッションを貰いに行きます。楽しみです。