【124日目】大雪と自由研究の日
今日は珍しく都心でも雪が積もった。午前中は僅かにちらつく程度だったのだが、昼過ぎから本格的に降り始め、帰宅する頃には15cmほどの雪の層が形成されていた。
子どもの頃は雪が降る度に心を踊らせていたものだが、大人になるにつれてその気持ちが薄れてきたように思う。交通機関への影響がどうしても気にかかり、雪合戦をしていても素直に楽しめない自分がいるのだ(それでも一応、雪合戦はするのだが)。
今夜もなんとか無事に帰宅できたが、電車の混雑具合は本当に酷かった。確実に乗車率200%ぐらいあったと思う。
運悪く四方をギャルたちに囲まれた私は、なるべく彼女たちに触れることが無いよう必死だった。痴漢に間違われないよう、自らの体積を最小限に押しとどめたりしたのだが、あの混雑の中では無駄である。人の波に押しつぶされた私は、危うく2次元のキャラクターのようにペラペラになるところだった。
とにかく散々な目に遭ったわけだが、それでも私は雪を心から嫌いになることが出来ない。不思議なものである。雪はどうしてこうも人の心を惹きつけるのだろうか。
その疑問を解決すべく、私は学生時代に自由実験で「雪の生成過程」をひたすら観察したことがあった。濡れたペットボトルの中に息を吹き込み、結晶の核となる糸を通して冷やすだけの簡単な実験である。
通常、雪の核となるのは空気中に存在する微小の塵なのだが、そこから生まれる結晶はあまりに小さいため、形を肉眼で確認することが難しい。そのため上記の実験では、細めの糸を核とすることで大きめの結晶を作ることにしたのだ。
雪の生まれ育つ過程は、とても美しいものだった。皆様もご存知の通り、雪の結晶には様々な形が存在する。これは生成過程における温度と水蒸気の量が関係するのだが、少しずつ樹枝の形になっていく様子を眺めていると、自然界の奇跡に触れた気分になる。誰かが仕組んだわけでもなく、美しい花のような姿になっていくのだ。
そんな感動を添えて観察記録をレポートにしたら、教授はとても興味を持ってくれたらしく、液体窒素やら何やら実験に使えそうな道具を色々と工面して下さった。やはり好奇心と美しいものは、人の心を動かすのだ。
しかし今になって、ふと思った。私が通っていたのは電子情報工学の学科だったのに、何故雪をつくる実験などしていたのだろう。おまけに冷却に使用したドライアイスの購入費用はすべて自腹だった気がする。貴重なお小遣いをはたいても実験を止められなかったのは、やはり雪が持つ魔力に取り憑かれていたのだろうか。人の心を狂わせる美しき結晶、実に恐るべし。
※追記1
私の両親は雪国の出身なので、雪にまつわるエピソードだったら事欠かない。なので、今後雪が降ったらそれらを1つずつご紹介していこうと思う。ここのところブログのネタに困っていたのでちょうど良かった。
(こういう前振りをすると、大体その年は雪が振らなくなる。それはそれで有難いのだが、ブログの存続的には非常に困る)
※追記2
韓国人の方からお話を伺ったところ、向こうでも雪合戦を行う際は雪玉に細工を施すらしい。私が幼少の頃も、石が入った雪玉を投げ合っていた記憶がある。生まれた土地は違えど、考えることは似たようなものである。