ひきこもりろん

広告ライターからエンジニアに転職し、現在はYouTuberデビューを目論んでいる「ひきこもり志願者」が日々の妄想を書き散らかすブログ。

【28日目】シャドウと自動車の日

ユング心理学創始者として知られるスイスの精神科医C・G・ユングは、かつて「影(シャドウ)」という概念を提唱した。人は社会に適応して生きていくために、誰もが善人の「仮面(ペルソナ)」を被って日常を過ごしているらしい。76億人もの人口を抱える現代社会が一定の秩序を保っていられるのも、皆が正しい自分を演じようとした結果なのだ。

しかし当然、その過程ではストレスも溜まっていく。本来の自分を抑圧することで生じたネガティブな感情は、やがて意識から切り離された影(シャドウ)として無意識の中に蓄積されていく。

そしてその抑圧が限界に達した時、シャドウは私たちの心に強く訴えかけてくる。「本当の自分は、こんな善人ではないだろう」と。

自らのうちに抱えきれなくなったシャドウは、やがて周囲の他者へと投影されていく。実体を持ったシャドウからは自らの存在が脅かされるような危機感を感じるため、妬み・憎しみといった強い負の感情を引き起こしてしまうというわけだ。

ちょうど今日の昼頃、食事をとりながらぼんやりテレビを眺めていると、ニュースで交通事故の映像が流れていた。事故を起こした運転手は大人しい性格で評判だったらしいが、ハンドルを握ると非常に攻撃的な性格に豹変したという。これも自らのシャドウを抑えきれなくなった結果と言えるだろう。

本来、人間とは矮小で脆弱な存在である。知恵を得ることによって文明を築き、今や世界の支配者であるかのように振舞っているが、その代償として心の弱さも抱えてしまった。

今回の事故の原因も、元を辿れば日々の生活で蓄積されたネガティブな感情が発端になったのではないだろうか。私は専門家でも何でも無いただのひきこもりなので偉そうなことは言えないが、自動車が人間の精神に与える影響については、教習所に通っていた頃に何度も聞かされた。

今や当たり前のように街中を走る自動車だが、その力は偉大である。人間の足では到底追いつけない速度で走り、多くの荷物や人を運ぶことが出来る。雨が振ろうと濡れることはないし、その閉鎖的な空間の中では音楽を聴こうが歌を歌おうが自由である。その万能感を自らの力だと錯覚し、心が狂わされても何ら不思議なことではない。

それでは、私たちがシャドウに抗うためにはどうすれば良いのか。

個人的な見解では、シャドウを完全に消し去ることは不可能だと考えている。それは自分の心を殺すことに他ならないからだ。肝心なのは、弱くて醜い自分と向き合い、その存在を認め、理想とするペルソナの姿に近付けていこうとする努力である。

認めたくない自分が居ることは、もう仕方がない事実で、諦めるしかないのだ。しかし諦めというものは、そのすべてが絶望的なものとは限らない。前向きな諦めも、時にはある。

あまり長く語るとまた直帰率が上がりそうなので詳しい話は控えるが、この記事を読んでシャドウやペルソナに興味を持った方は、ぜひ書店で心理学の本をご覧になって頂きたい。

活字を読むと眠くなるという困ったさんは、アトラスから発売されている「ペルソナ」シリーズのゲームで遊んでみると良い。他人と交流を深めることで心の力を磨き、世に蔓延るシャドウと戦っていく人気RPGである。心理学用語もそれなりに出てくるので楽しめると思う。

 

※追記1

大学生の頃、心理学部の友人に頼まれて実験に参加したことがあった。2人の人間が同時に算数の問題を解き続けるというシンプルなものだが、1人はテスト中にひたすら褒められ、もう1人はずっとなじられ続けるという違いがあり、私は後者に任命された。

テストが始まるや否や友人は「早く解け」「なんでそんなに遅いんだ」「不細工」と私を罵り、それがとてつもないストレスに感じたことを未だに覚えている。そもそも算数と不細工は関係ないのである。

 

※追記2

その友人は塾講師として働いているが、人心掌握の術に長けているため出世街道まっしぐらのようだ。私のシャドウは嫉妬で大暴れ寸前である。