ひきこもりろん

広告ライターからエンジニアに転職し、現在はYouTuberデビューを目論んでいる「ひきこもり志願者」が日々の妄想を書き散らかすブログ。

【110日目】コメント職人と皮肉の日

昨日の夕方頃、日課のブログを更新するために「はてなブログ」のアプリを立ち上げた。すると珍しいことに、アプリから「新着コメントがあります」という旨の通知が届いていた。

このブログを始めてから100日以上が経過しているが、私は未だに誰からもコメントを頂いたことが無かった。言うなればコメント童貞である。

期待感を持って該当記事を開いてみると、コメントの送り主は職場の上司だった。なぜ人物を特定できたのかと言うと、ハンドルネームに上司と書かれていたからである。もし見知らぬ方からコメントを頂いていたら、私は感動のあまり失神していたかも知れないので、あらかじめ正体を明かして頂けて良かった。

しかし不思議なのは、この上司がコメントした記事である。昨日の段階で、このブログには108日目の記事がアップされていた。ところが上司がコメントしたのは94日目の記事で、昨年の天皇誕生日に投稿したものだった。

一体彼は何故この記事にコメントしたのだろう。少し頭を捻ったところ、タイトルを見て納得した。94日目のタイトルは、「伊達眼鏡と依存症の日」だった。普段から上司は眼鏡を愛用しているため、この単語には鋭敏に反応してしまうのだろう。習慣とは恐ろしいものである。コメントの内容は大変参考になるものだったが、よりによってこの記事を狙い撃ちしてくるとは。眼鏡への並々ならぬ執着というか、職人気質めいたものを感じてしまう。

職人といえば、一時期ニコニコ動画で「コメント職人」と呼ばれる方々が存在した。もともとコメント機能は「面白くない動画もコメントがあると面白くなる」というサービス側の配慮だったようだが、いつからかそれがアート感覚で取り扱われるようになり、時には動画本編より注目を集めるまでに成長した。

例えば音楽関連の動画では、歌詞や空耳などが流れて消えてしまわないように、コメント職人たちが動画に張り付いていた。

誰から頼まれたわけでもないのに、自らの貴重な時間を「面白さ」のためだけに費やす姿勢は、まさに職人である。傍から見れば馬鹿馬鹿しい行為かも知れないが、「誰かを楽しませたい」という気持ちは素晴らしいと思う。笑顔が増えれば争いは減るはずだ。

そんなコメント職人だが、近年ではその数が劇的に減少していると言う。理由はいくつか考えられるが、個人的には「ニコニコ動画というサービスの成長」が大きな要因になっていると思う。

ニコニコ動画がサービスを開始した当時は、お世辞にも良質な動画サイトとは言い難かった。ネット回線自体も今ほど屈強では無かったので、画質は荒く、素人が投稿したホームビデオのようなコンテンツも多かった。

しかしそんな状況だったからこそ、「コメントによる面白さ」が人気を博したのだろう。近年では動画の質も安定し、魅力的なコンテンツが増えているニコニコ動画だが、それだけに動画が主体となりつつある。本編が面白くなればなるほど、コメントは鬱陶しい存在になり、場合によっては荒らしと見なされるケースも増えてしまった。サービスの人気を支え続けてきた機能なのに、何とも皮肉な話である。

近年はコメント職人を志す若者もめっきり減ってしまったそうだが、ニコニコ動画の黎明期を知る者としては、少し寂しい気もする。時代の変化でユーザーの需要も変化しているが、そんな中だからこそ「コメントの新しい面白さ」を追求して欲しいのだ。

……何故かニコニコ動画の話に偏ってしまったが、とにかく私が伝えたいのは、コメントという文化は素晴らしいということである。初めてコメントを頂いた記事については、上司が誤ってコメントを削除してしまった場合を想定し、スクショを撮って保存しておこうと思う。もちろんタイトルとセットで。

 

※追記1

ちなみにコメント職人の作品はCAと呼ばれている。コメントアートの略称である。キャビンアテンダントでは無いので注意。

 

※追記2

明日から本格的に仕事が始まるので、今日のうちに記事を書き溜めておこうか迷った。しかし私のブログはライブ感を大切にしているので、書き溜めのような無粋な行為は控えようと思った。決して連休の最終日で面倒くさくなったわけでは無い。