【244日目】ルパン三世と生き様の日
現在放送中の『ルパン三世 PART5』が面白い。シリーズ最新作となる本作では、現代のデジタル社会に焦点を当てている。電気自動車やモバイル端末、SNSにAR技術など、近代テクノロジーを駆使したストーリー展開は、旧来の作品以上にルパンを「身近な存在」として感じさせてくれた。
メインキャラクターの新声優陣もすっかり板についており、『ルパン三世』の世界を彩っている。音楽やビジュアル面も申し分なく、まさに「現代版」と言える仕上がりだ。かつてルパン三世に憧れた方は、この機会にぜひ一度ご覧頂きたい。峰不二子との破局を匂わせるような発言など、旧来のファンが観ても興味を引かれる内容になっている。
それにしても何故、ルパン三世は今なお多くのファンに愛されるのだろうか。改めて分析しようとすると、ルパン三世というキャラクターの複雑さに気付く。天才的な頭脳を持つ大泥棒で、美人には滅法弱い。それは過去の作品において共通して言える特徴だが、性格については明確な答えが出ないのだ。
アニメ評論家の藤津亮太氏も、「ルパンというキャラクターは厄介な存在だ」と述べている。我盗む、故に我ありを体現したようなキャラクターなので、盗み出す対象や物語の展開によってスタンスが大きく変わるのだ。
時には好奇心旺盛でスリルや面白さを最優先し、時には義侠心に忠実だったりする。『ルパンVS複製人間』で「ルパンの内面は“虚無”である」とされたように、この男の真意を推し量ることは誰にも出来ない。しかしその曖昧なスタンスすら「ルパンの魅力」として昇華しているので、制作現場にとっては厄介な存在だろう。
そんな中で、あえてルパンのキャラクターの方向性を決定づけるとしたら、「常にカッコ良く生きる男」が相応しいと思う。もちろんカッコ良さの基準は人それぞれなのだが、彼は自分の中にある美学に従順である。
本作においても、彼はある少女から「なぜ自分を盗んだのか」と目的を問われるシーンがある。ルパンはその答えを真剣に考えるが、結局は「わからない」という結論に辿り着く。盗むために誕生したキャラクターが故に、その答えはメタ的な発言にも思えるのだが、その奥底には「その選択がカッコ良いと思ったから」という信念があった。
あぁ、これだと思う。幼少の頃の私は、ルパンのこういうところに憧れたのだ。例え愛する女性に裏切られても、不平不満など口にしない。それどころか、「男はよ、女に騙されるために生きてんだ」と言ってのける。
気付けば私も良い歳になってしまったが、ルパン三世のカッコ良さはいつまでも追いかけていたいと思った。
※追記1
ルパン三世と言えば数々のトリビアが存在する。例えばルパンと銭形と不二子は同じ大学出身だったり、次元は帽子が無いと射的の精度が落ちる等々。いずれもその場限りの設定だったりするのだが、大雑把な内容でも「神出鬼没の大泥棒とその仲間たち」と考えると、深く追求する気にならない。このあたりは制作陣にとって便利な一面だと思う。