ひきこもりろん

広告ライターからエンジニアに転職し、現在はYouTuberデビューを目論んでいる「ひきこもり志願者」が日々の妄想を書き散らかすブログ。

【30日目】第二の脳と交渉人の日

人間の腸は、時に「第二の脳」と呼ばれることをご存知だろうか。栄養や水分の吸収、そして排泄の役割を担っている我々の腸だが、その機能は脳からの信号で働くものではない。腸が独自に築いた神経系によって実行されているのだ。

実は脳内の神経伝達物質である「セロトニン」も95%が腸で作られているという研究報告があり、その数は1億個を下らないそうだ。科学者の中には腸を中枢神経系の一部とみなす方も居るらしく、まさに消化界と排泄界の絶対君主と呼ぶべき存在だろう。

 

なぜ唐突に腸の話を始めたかと言うと、私は今朝の通勤中に猛烈な腹痛に見舞われたからである。

私の脳は必死に腸と交渉の場を設けようとしたが、その呼び掛けは虚しい結果に終わった。もはや一刻の猶予も無かったので駅の厠に駆け込んだが、ここまで主人の意思に反した行動を取るのは如何なものだろうか。反抗期を迎えた中学生の方がまだ可愛げがある。

私は厠の個室で腹を抱えながら、改めて腸との対話を試みた。気分は交渉人(ネゴシエーター)の真下正義である。

交渉において大切なのは、何よりも相手の心を開くことである。決して咎めたり脅したりしてはいけない。下手に刺激を与えれば逆上するだけでなく、私のおしりが大惨事を迎えることになるだろう。まずは静かに、相手の要求に耳を傾けることにした。

しばらくの間、腸は無言を貫いていた。時おり聴こえてくるのは、猛獣の唸り声のような激しい消化音だけだ。荒ぶっておられる。

私は辛抱強く腸の言葉を待ったが、彼は一向に何も語ろうとしなかった。このままでは埒が明かないので、私は実家の母親が顔面にところてんをぶちまけてしまった逸話を話してみたが、これにもまるで反応がない。

消化と排泄とはそれほどに楽しく、熱中できる作業なのだろうか。私はその疑問を率直にぶつけてみた。相変わらず返事はなかったが、よくよく考えれば彼もやりたくてやっている訳ではないのかも知れない。

他の臓器たちが脳を中心に仲良くやっている一方で、腸はいつも一人孤独である。生命活動を維持するという目的は同じはずなのに、いつから彼らは道を違えてしまっただろう。

毎日取り込まれる食物から栄養と水分を取り込み、用が済んだら排泄する。そんな地道な流れ作業を、彼は何年も何年も繰り返して来たのだ。その実直な働きぶりを振り返ると、腸を罰するなど愚かな行為に思えてきた。そもそも「腸と交渉を試みる」という発想自体が馬鹿げている。

私は腸の好きなようにさせることにした。曲がりなりにも「第二の脳」と呼ばれるほどの実力者である。悪いようにはしないはずだ。

それに考えてみれば、心臓やその他の臓器も脳からの「無意識的な命令」によって動いている訳で、我々の意思で自由に止められるものでは無い。そういう観点で見れば、腸も他の仲間たちと一緒である。主人として、様々な個性を受け入れてあげるべきだろう。

一人でそんな妄想を続けていると、いつの間にか腹痛も治まっていた。私は心から安堵し、長い間閉じこもっていた厠から出ることを決意した。おしりは大変なことになっていたが、あまり生々しい描写をすると読者諸君を不快な気持ちにさせかねないので自重しておく。もうとにかく、大変だった。本当に。

 

※追記1

考えてみると、「呼吸」という行為はかなり特殊である。普段は無意識的に行っているものの、意識的に行うこともできる。生命活動にも直結するのに、ここまで自由度が高くて良いのだろうか。

 

※追記2

「断腸の思い」という言葉があるが、ストレスが溜まると人間の腸はきつく捻れていくらしい。昔の人は上手い表現を思い付くものだと感心する。